人気ブログランキング | 話題のタグを見る
[茶との暮らし]自己責任で海外に行くということ
最近、海外で人質になった方関係とかのブログとかニュースとかみると、国に迷惑かけるなとか、自己責任で行けとかコメントを見かけます。
うん、確かにそうなんだけれど、そんなことを読んでいたら、ふと昔のことを思い出しました。




私は海外に何度か行っているけど、ヨーロッパに3回、これは趣味ですね。アジア関係に2回、これはお茶関係。
いずれもある程度私のお茶の知識をかってくれた方々のご尽力でした。
でも、考えてみたら、スリランカはテロのあった数日後に出発、台湾は震災のあった比較的直後だったんですね。
でも迷わなかった。なぜだろう、と。

自己責任ということは考えているつもりですし、今回の話とは話が違うのを承知でコメントしていますが、
お茶どころに行って危険が待ちかまえている可能性より、そのときのその地域の茶にどうしてもあいたかったんです。
季節が違っても、年が違ってもワインと同じく茶の味は違います。
それに茶どころに行けるというのは、本当にご紹介くださる方とか旅費とかいろんなことが揃わないと難しい。たまたま機会に恵まれたのなら、その機会をどんなことがあっても逃したくは無かったのです。
命とかより、そのときの私にとってもっともっと大事だった。だから迷わなかったんですね。

人が、そういう場所に行こうかと考えるとき、命のことを考えないわけはないのだと思います。
ただ、その時のその人にとって「命に代えても」必要なものがあったら、誰にもとめられない。
それが、誰かに対してというより、自分に対しての「自己責任」な気がします。

自分の経験を通して考えてみると、あのとき行って良かったとやはり迷い無く思いますね。
今回、なくなったり大変な思いをされた方も同じ思いであることを祈ります。

たかが茶じゃないか。戦争だ、命だ、と一緒に考えるのがおかしい、と思われる方もいるでしょう。
でも、世界中の茶どころで「地図になっていない場所」があるのをご存知ですか?
そばに軍事基地があるときいています。
私たちの口にしている茶葉は、いつか戦争で失われてしまうかもしれない茶です。そのことを思うと、無関心ではいられないのです。
by oeuf1 | 2004-11-13 05:46 | 茶 the
<< やったー念願のスタイル変更! ... 苦い祝宴 A Bitter F... >>